【メモ】NHK「平清盛」での王家連呼 [ニュース]
朝鮮人が天皇陛下のことを「日王」と呼んでいるように、日本人の反日左翼どもも使いたがる傾向にある。
この間産経で「平清盛」の時代考証を担当した本郷和人・東大史料編纂所准教授が、「王家」を使った理由を解説していたが、まったく納得のいくようなものではなかった。
そもそも平家物語や源氏物語で「王家」って書いてないし。
天皇 wiki
「称号の歴史:近年の研究では、「天皇」号が成立したのは大宝律令で「天皇」号が法制化される直前の天武天皇ないしは持統天皇の時代(7世紀後半)とするのが通説である。7世紀後半は、唐の高宗皇帝の用例の直後にあたる。戦前に津田左右吉が唱えた推古天皇期という説が、過去には有力だった。」
「中世:順徳天皇(在位1210年-1221年)以来、光格天皇(在位1791年-1817年)の諡号が復活するまで、「天皇」の号は生前も死後も正式には用いられなかった。例えば後水尾天皇は没後は「後水尾院」と呼ばれ、これらを「後水尾天皇」とすべて置き換えたのは明治維新後のことである[4]。
在位中の天皇は、みかど(御門、帝)、きんり(禁裏)、だいり(内裏)、きんちゅう(禁中)などと呼ばれた。「みかど」とは本来御所の御門のことであり、禁裏・禁中・内裏は御所そのものを指す言葉である。これらは天皇を直接名指すのをはばかった婉曲表現である。陛下(階段の下にいる取り次ぎの方まで申し上げます)も同様である。」
2chより
・寺社関係の資料に出てくる「王法」はすべて「仏法」に対する世俗の法という意味
・『神皇正統記』に出てくる「王家之権」や、幕末の「王政復古」や「尊王攘夷」は朱子学に出てくる用語で、朱子学の「覇道」「王道」の思想に基づいて「王」という文字が使用されている
・『花園天皇宸記』を書いた花園天皇も、朱子学の影響を非常に強く受けている
・王とは、皇帝の下に位置する位。天皇は中国皇帝と対等であるという意志表示なのだから、わざわざ王を名乗るはずがない。
・当時から普通に使われていた、親王(天皇の直系男子)・王(天皇の傍系男子)との整合性は?
皇=三皇(中国神話上の三名君にちなむ。
武をもちいず王徳のみで世をまとめた、という意味)
帝=五帝(中国神話上の五名君にちなむ。
モノを束ねる象形文字。実に良く治まっていたとされる)
王=上に立ち治める人、知恵と武勇で世を治めた、とされる。
覇=春秋の五覇(混乱の世を武断政治で纏め上げた、覇を唱えた、と言う意味)
雄=戦国の七雄(戦乱の世にでた群雄。武力統一を目指す)
基本的に文治>>武断という価値観なので
敬称の序列は
皇>=帝>王>覇>=雄
注:他国のと比較論で用いるのではなく同一王家内で使い分けるのが基本
直系は皇、傍流は王、を良く用いる
○『神皇正統記』の天皇記述100件以上、皇家、皇宮、皇居、皇軍、皇都、皇位、皇化、皇祖、皇統、他多数
王家の記述は2件、「王家の権」という使用例のみ。 王家之権というのが漢籍の熟語であり、神皇正統記は漢文体。
『平家物語』『保元物語』『平治物語』『陸奥話記』『将門記』『源平盛衰記』に「王家」の記載無し。
皇室、皇居、皇化、朝家、君朝、天皇などの表記。
○幕末の「王政復古」「尊王攘夷」は徳川の「覇道」に対する「王道」という儒教用語。 日本の天皇のみを指していない。
(。・_・。)2kさん、般若坊さん、HAtAさん、xml_xslさん、uryyyyyyさん>nice! ありがとうございます。
by hachikin45 (2012-01-28 21:18)