今は亡きエンコリのスレ7 「■朝鮮論法 (再掲載)」 [enjoy korea]
■朝鮮論法 (再掲載) | 伝統文化・伝統芸能
No.1570766 投稿者: yonaki 作成日: 2006-12-30 09:52:40
■朝鮮論法
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定義
以下のように行われる、主に半島在住者に見られるある論述傾向を便宜的に朝鮮論法と呼称する。
※必ずしも半島在住者によってのみ行われるものではない。
※半島在住者の全てがこの論法を使うものではない。
構成
論述構成としては、 通常と逆の構造を持つ。通常は各論から帰納的に蓋然性を求めるのに対し、朝鮮論法の場合結論から演繹的に絶対的な真実性を求める点に差異が見受けられる。
朝鮮論法の場合、普遍的真実から演繹するため、各論の論証に飛躍が許される。
各論における飛躍例:
論A:
根拠A:誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は築造が500年頃である。
論証A:土器編年などから証明される。
結論A:応神天皇の在位は5世紀後半であり、倭王武は応神天皇である。
言うまでも無く、誉田御廟山古墳の実際の被葬者の特定というプロセスを根本から抜かしているのであり、論証になっていない。
しかし、『日本書紀に隠された真実』から演繹されるこの結論は、言うまでも無く『真実』である。
概要
総論
・『総論』は『各論』の立論、論証に影響を与える。
・『各論』が多数存在することが、『総論』の正しさを醸成する。
その場合、『各論』の正否は問題とならない。
・感情によって許容できる範囲を『許容限界線』、その内側を『真実域』、
その外側を『妄言域』と定義すると、『総論』は常に『真実域』の中央に
位置される。
各論
・『各論』は、『総論』の存在を元に立論される。
・『各論』の発生場所が『許容限界線』の外だった場合、それは『妄言』として
廃棄されるか、『総論』に沿うよう『再解釈』され、その場所が『許容限界線』の
内側に移動される。(『各論I』→『各論I’』)
・『各論』は、権威よってその正否が問われる。
反論
・『各論K』に対応する『反論K』が提出された場合、カウンターとして常に
『総論』が用いられる。
・『各論K』の否定『反論K』は『総論』(≒他の各論の集合)を根拠に否定される。
故に、『各論K』の否定は『総論』の否定には寄与しない。なぜなら、『総論』
が存在し、それは『各論』の集合によって既に『証明』されている からである。
典型的な反応の例:
k*ryo*m***or 11-03 22:56
(前略)事実に対しては敢えて不正な根拠を捜すことができなかったことか?
論議の核心を取り上げないでちょっとした部分を持って言葉尻を取る
日本極右派たちの幼稚な論法はいつ頃改善することか?
・仮に『各論K』が放棄されても、すぐに同様の内容を持つ別の『各論L』が発生する。
→『各論L』に対する『反論L』が続けて提起された場合、『各論K』を含めた他の
『各論』の集合を以って、『反論L』を否定できる。
→『各論L』は存在発生後、直ちに『各論K』を補強する根拠とする事ができる
まとめ
・朝鮮論法において、『総論』は時空を超越して存在する。
『総論』はαであり、Ωである。
サンプル
総論:古代、半島は倭に対して優勢であった。
各論1:倭に送られた質とは、開拓指導者である。
→なぜなら、他の各論2、3、4から情勢は明らかである。
故に、「各論1」の倭に送られた質とは、開拓指導者であると解釈すべきである。
各論2:七支刀は、倭に下賜されたものである。
→なぜなら、他の各論1、3、4から情勢は明らかである。
故に、「各論2」の七支刀は、下賜されたものと解釈すべきである。
各論3:広開土王碑文辛亥年条は、改竄されている。
→なぜなら、他の各論1、2、4から情勢は明らかである。
故に、「各論3」の広開土王碑文の辛亥年条は、改竄されたと考えるべきである。
各論4:「新羅百済皆為倭以大国、珍物多、並之敬仰、恒通使往来」は、新羅、
百済が倭を大国にしたという意味である。
→なぜなら、他の各論1、2、3から情勢は明らかである。
故に、「各論4」の文は、新羅、百済が倭を大国にしたと解釈すべきである。
反論1:質とは、人質であり、倭に一方的に提出させられたのは、国情をあらわして
いるのではないか?
反論1は、「総論:古代、半島は倭に対して優勢であった。」から否定される。
彼我の戦力差が圧倒的であり、抗弁の維持が目的という限定された空間においては、非常に有効且つ合理的な方法である。
(「ロトの剣」が如何に攻撃力が高くても、1ターンで倒せるのはスライムといえど1匹までである。)
このような論法をことここにいたっての状況で用いてくる事は、朝鮮民族の高い合理性、優秀性をあらわすのではないかと愚考する。
ただ、この論法ではどうやっても日本人に承認はされませんけどね。
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日本側が朝鮮戦争前後の断絶をへて、金錫亨などの朝鮮史学と再開した時は、さぞや頭を抱えた事でしょう。
yonaki@お遊び中
コメント
yonaki 12-30 09:55
戦前に日本人によって相当なレベルにまで引き上げられた朝鮮史という分野が、僅か20年手を離しただけで次元の彼方まで転移しているとは、思いもしなかったでしょうね…。
enjoychi 12-30 09:57
元々、儒教は現実無視の妄想しやすい考えですからね。
yonaki 12-30 09:59
今西、黒坂、善生、四方、中村などの論文は60年以上前に作られたにもかかわらず、今でも余裕で通用するところが恐ろしい…。
→ yonaki 12-30 10:01
逆に言えば60年前に完成に近い域まで為されてしまった、発展する余地が
あまりなかったと言い換えることも出来る。
→ yonaki 12-30 10:07
故に朝鮮史にかかわろうとすれば、日本人の業績を認めるか、全否定して
あさっての方向に飛んでいくかしかないっていうのは、一部の人たちにとって
辛い状況なんでしょうね、と言ってみる。
yasoshima 12-30 10:01
うわあ、だんだん蓄積されていって完成度が高くなっている・・・
xml_xslさん>nice! ありがとうございます。
by hachikin45 (2011-10-31 00:09)
uryyyyyyさん>nice! ありがとうございます。
by hachikin45 (2011-11-01 00:11)